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人間らしさとは何か~AIからけもフレまで

 Twitterで永元千尋氏がこんなことをおっしゃっていた。

 

 これに対してのおれの糞リプが以下の通りである。

 つまり機械化が為される前、人間らしさが「理性」に求められていたのは人間と対になる比較対象が動物しかなかったわけで(神とは比較しなかったのだろうか)、本能と感情のままに行動する彼らと違い感情を抑制し理性的に行動できることこそが人間らしさであったと。

 しかし機械化が為されたのちには、感情の抑制と理性的であること(そもそも機械には感情がなかった)においては彼らにはかなうわけもなく、彼らにはない感情的な部分こそが人間らしさだと言うようになった。

 人間の思考や記憶、感情までも学習するAIが登場した今、人間らしさとはなんなのだろうという問いかけである。もうこうなると人間とAIの違いは実体を持つかどうかという点しかないのではないか。ソフトウエアとしてのAIとハードウエアとしての人間。人間の本質は脳みそではなく肉にあるのだ。いや脳みそ自体は肉(物質であるという意味)であるが、その脳みそが司る記憶の蓄積や思考、感情と言った内的現象は理論上AIにも可能であり(「失敗すること」ですら)、その点で人間と区別の付かないAIが出てくるのは時間の問題であろう。

 AIと比較した場合、人間が占有し得る領域はもはや「物質である」という点にしかないのではないだろうか。AI自体はプログラムであり、実体ではない。インターフェイスとしてのコンピューターは先に挙げた「機械」に分類される。Aiにはない肉体こそが人間らしさなのだ。

 それだけなら動物にも当てはまる。動物との違いは二足歩行が出来、手が器用に使えること、言葉を喋れること等であろうか。それに加えて先に出てきた理知的で感情を抑制すること。

 つまり対AIとしては「物質であること」、対機械としては「感情があること」、対動物としては「感情を抑制できること」が人間らしさであり、人間らしさとは比較の対象によって変わるのである。「物質であり感情がありその感情を抑制できる」のが人間である証ということであろうか。

 となるとけものフレンズのフレンズたちは人間であると言える。彼らは物質であり(二次元ではないかという野暮な反論は考慮しない)、感情があり、またその感情を抑制できる。フェネックに諭され自らの非を認め謝ったアライさんは実に人間的だ。二足歩行をし手を使えて言葉も喋れる。人間にはない尻尾やケモミミなどは+アルファであって、これを以てして人間ではないと断ずることはできない。一定条件を満たしている以上は人間である……などと思ったがそれだと鬼太郎も猫娘も子泣きじじいですら人間であるということになり、際限が無い。今度は妖怪と比べての人間らしさを考えねばならない。

 なおフレンズたちは「人間の亜種」「獣人」と分類するのが適切であろう。人間と獣の中間、民俗学で言う「境界」にいる存在で、両者の特徴を有するハイブリッド。

 このように人間は、なにか新しい存在が人間の領域を侵さんとする度に、自分たちが人間であることを証明するために骨を折ってきたように思われる。自然界の一部でありながら人間が孤高の存在でないと気が済まないのだ。それはいささか傲慢な気もするが、どうだろう。

 かつて自らに似せて人間をつくったという西洋の神。そして自らに似たAIを生み出した人間。神がしたようにAIを洪水に流したり硫黄と火に沈めたりするのだろうか。自分がつくったものなのにね!